名古屋高等裁判所 昭和45年(う)440号 判決 1971年8月05日
被告人 寺田正治
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人佐藤一平作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。
所論の要旨は、被告人に注意義務違反を認め、過失ありとした点について、原判決には審理不尽、理由不備ひいては事実誤認の違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすものである、というのである。
所論にかんがみ、記録を仔細に調査し、当審における事実取調べの結果を参酌したうえ検討し、次のとおり判断する。
原判決がその挙示する各証拠によって、原判示の事実を認定したうえ、右事実に対する被告人の所為を刑法二一〇条の過失致死罪に問擬したことは所論のとおりである。
先ず、本件豊田きの方近くに電圧六、六〇〇ボルトの電流の流れている高圧線が敷設されていたことは原判決挙示の証拠によって明らかであるが、被告人が右高圧線の存在を認識していたか否かを考察する。被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、被告人が本件豊田方のすぐ西側に中電の電柱が立っていて、その電柱には東側の方から高圧線の入っているのを見て知っていた旨の供述記載があり、また司法警察員の死体見分調書添付の写真によれば、右電柱にトランス(変圧器)が設けられ、その上部に高圧線が通っていることが認められる。当審において、被告人は、トランスは家庭用に電圧を落すものと父から聞いており、トランスの上には高圧線が通っていることは知っていた旨供述しているのであるから、前記捜査官に対する高圧線の存在を知っていた旨の供述が捜査官憲の誘導にもとづくものと解することはできない。従って、捜査官に対する被告人の右供述および証拠に現われた本件豊田方付近の外形的情況を総合すれば、被告人が、本件事故当時前記電柱の上部の電線が、六、六〇〇ボルトの高圧電流が流れているかどうかについては認識がなかったとしても、右電線が家庭用引込電線と異なり、それ以上の高圧電流の流れている所謂高圧線であることの認識を有していたことは十分に認めることができる。しかして、所謂高圧線が家庭用引込電線に比較し危険度の高いことは一般人として容易に理解しうることがらであり、この程度の知識は、被告人が弱電関係の家庭用電気器具の販売、修理等に従事するに過ぎないものであるとはいえ、当然有すべきであり、また有していたと解することは経験則に反するものではない。
次に、本件事故当時かなり強い北風が吹いていたことは、前掲被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書の記載、原裁判所における証人伊藤秀明の供述(風速一五米位の西風が吹いていた)、豊田きのの証人尋問調書の記載により認められ、また司法警察員の実況見分調書には、実況見分時である事故当日の午後五時から午後六時三〇分までの間の気象状況として、晴天北西一〇メートルの風速があった旨の記載が見られる。なお、当審で事実取調べをした発信官署豊橋天文台受信官署名古屋高等検察庁福田検事なる検察事務官作成の電話聴取書によれば、昭和四四年四月五日(本件事故当日)豊橋地方の風向は北の風、風速は平均秒速八乃至九米位の間で、特に午後三時ころまでは秒速一〇米位の強風があったと記録されている旨の記載があるところより考察すれば、本件事故当時において北あるいは北西の秒速八乃至九米の強い風が吹いていたことは、前記原判決挙示の各証拠によっても十分に認められる。所論のごとく、原判決には「当時北西の風が強く」と認定されているのみで風速がどの程度かの記載はないが、本件のような事案においては強い風が吹いていたということが明示されていれば十分であって、風速までを記載しなければならないものではない。
ところで、本件のテレビアンテナは支柱の長さが七・六米というのであるから、頭の部分の大きいテレビアンテナの形状からして極めて不安定なものであり、右認定の強風下にこれを立てることは風のため一層不安定となり倒れる危険性の高いことは、被告人の検察官に対する供述調書中、一人では取付けができなかったので、伊藤、豊田(註被害者)の二人に手伝ってもらった旨の供述記載のあることよりして十分推認できることである。このことは、原裁判所における証人寺田正雄(註被告人の父)も、「私は風が強い日でしたので(息子が)行くとは思わなかつた」旨供述していること、および前掲証人伊藤秀明が、「こんな風が強い日にやつていいかと尋ね、また最初は風が強いからと断つたが、被告人がやるというので手伝うことになり、更に被告人が二人より三人の方がよいと言うので被害者の豊田静男が手伝うことになつた」旨供述していることにより裏付けられるものというべきである。
しかして、右証人伊藤秀明の供述によれば、被告人が本件テレビアンテナ取付作業の主宰者であり、作業について指導的立場にあつたことは明らかであり、本件アンテナ取付作業が三人の全く平等な共同作業であつて被告人には何ら責任がないとの論旨は、単なる言い逃れに過ぎないものというべきである。
右説示のように、不安定な形状のテレビアンテナ取付作業を主宰する被告人としては、本件豊田方の屋上の西側に高圧電線が通つており、しかも強風下であるという状況のもとにおいては、作業中テレビアンテナが倒れて高圧線に触れ危険を生ずるかも知れぬということは当然予見しうべかりしことがらであるから、完全なる絶縁体の手袋、靴等を準備するならば格別、しからざる限りは風の止むまで工事を中止して不測の事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにかかわらず、被告人が右のごとき注意義務を怠り、安易に大丈夫と思つただけで取付作業を敢行した軽率な行為に過失があるというべきである。ところで、当審において取調べた米沢是の証人尋問調書の記載によれば、電力会社の高圧線工事については、特別製の高圧用ゴム手袋、絶縁ゴム長靴、ビニール上衣等を装着して行つているのであつて、市販のゴム手袋、ゴム底靴、ズツク靴等は高圧線については不完全であるというのであるから、たとえ、被告人が手伝いの二人に市販のゴム手袋、ゴム底靴を着用させたとしても、完全に本件の結果を回避させえたか否かは疑問としなければならない。従つて、絶縁体の手袋、靴等がいかなるものを意味するかについて取調べをしていない原判決が「風のやむまで作業を一時中止するか、絶縁体の手袋、靴等を着用させた上作業の手伝をさせ、感電による危険の発生を未然に防止すべき注意義務がある」と記載しているのは、いささか不正確のそしりを免れず、前説示のように「完全なる絶縁体の手袋、靴等を着用させるならば格別、しからざる限り、風の止むまで工事を中止して、不測の事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある」旨摘示すべきが、より適切であると思料される。しかしながら、原判文の上からも風のやむまで作業を一時中止すべきであるというところに注意義務の重点があることは明らかに窺い知ることができるのであるから、原判決の注意義務の説示については結局判決に影響を及ぼすような誤りはないと解すべきである。
なお所論は、アンテナが傾いた方向が明らかでないというのであるが、アンテナが結果的に西側に倒れ本件高圧線に触れたことは否定することのできない事実であり、風向きが北風といい西北風といつても、風が絶えず同一方向に一定して吹くものと解することはできず、瞬間的に風向きの変化する現象は日常経験することであり、また風に倒されまいとして三人でテレビアンテナの支柱に力を加えていることをも考慮に入れれば、支柱の倒れる方向が風向きに従つて一定であると考えるのは独断に過ぎない。また所論は、本件が取付作業中のアンテナが西方に傾いて高圧線にかかつた後、右電線に沿つて南方に滑り、右電線を電柱に固定させている碍子の個所でアンテナの先端が高圧線の裸線部分に触れて発生したもので、全く稀有の事故であり、このことを予見することを通常人に期待することは不可能があるというのであるが、所謂高圧線が普通家庭用引込電線に比較して危険度の高いものであることは前説示のとおりであるから、本件のごとき事故が頻発するものでないことは一応考えられるが、高圧線が危険度の高いものであるとの認識があり、それに触れれば危険の発生するという予見があれば十分であり、裸線部分に触れることまで予見しなければ過失責任を問いえないというものではない。従つて、原判決が被告人に対し通常人の能力を超える予見を強いるものという非難は妥当ではない。更に、所論は、原判決が被告人を電気に関する特別の知識を有するものと誤認しているというのであるが、原判決は被告人に対し業務上の過失あるいは重大なる過失の責任を問うているのではなく、テレビアンテナ取付作業を主宰するものとしての前説示のごとき一般的注意義務を要求し、その注意義務違反の行為を過失であるとしているのであつて、被告人が電気に関する特別の知識を有することを前提として過失責任を認めているものでないことは明らかである。また、被害者豊田静男が被告人より電気に関し豊富な知識を有していたと認めるべき証拠はなく、この点に関する論旨も採用しえない。
以上のように、被告人が前説示の注意義務を遵守していたならば、すなわち、前記高圧線に近い屋上でテレビアンテナ取付作業をすることを強い風のやむまで中止していたならば、本件事故死が生じなかつたであろうことは明らかであるから、原判決が原判示の事実を認定したうえ、右事実に対する被告人の所為を刑法二一〇条の過失致死罪に問擬した措置は相当として肯認することができ、原判決には所論のごとき審理不尽、理由不備ひいては事実誤認の違法は存しないというべきである。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条に則り、本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。